【サイコサスペンスとして『エクソシスト ディレクターズ・カット版 』を解釈してみた話】

      2016/04/10

梅雨が本領発揮ということでしょうか、ぐずぐずした天気で気分もどんより気味ですよ。洗濯物もなかなか乾きませんしね。

さて夏といえば怖い話ってことで、怖い映画を借りてきたんですけども、夜に観るのはさすがにコワいから昼間のうちにと思いまして。さぁ、観ようと再生ボタンを押すたびにですね、
・仕事の電話がかかってくる
・急遽丸亀製麺にうどんを食べに行くことになる
・スリッパを家のどこで脱いだかわからなくなる
という怪奇現象が頻発しまして、結局観るのが夜になっちゃったわけです。それでも返却予定もありますんで頑張って観始めたんですけども、開始20分くらいのところで、あぐらをかこうとしたその時、ピシーン!って足がつったんです。もうこれは悪魔のたたりんなんじゃないかと思ったんですけど、それでも最後まで観た映画がコチラ。

エクソシスト ディレクターズ・カット版

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1970年代のオカルト映画ブームを牽引したホラー映画の金字塔「エクソシスト」(73)に15分間の未公開シーンを追加したディレクターズ・カット版。女優のクリスは、一人娘リーガンの12歳の誕生日を祝おうと友人達を招待した。夜更けまでパーティーが盛り上がっていると、突然、寝室から降りてきたリーガンが、客に汚い言葉を吐き、しかも、立ったまま放尿した。そしてその夜、リーガンの部屋から、突然大きな悲鳴が聞こえてきた。駆けつけたクリスが見たものは、激しく揺れるベッドと、その上で泣き叫ぶ娘の姿だった……。
[From エクソシスト ディレクターズ・カット版 : 作品情報 - 映画.com]

まず一本の映画としてですね、面白かったですし、なんというか“上手”でした。お話の進むテンポが気持ち良いというのか、ムダがないというのか。それは脚本がいいのか編集がいいのか技術的なことはよくわからないですけども、とにかく「観心地」が良かったです。センセーショナルな内容もさることながら、この作り手の力量みたいなものが、ホラー映画の名作たる所以じゃないかなぁと思いました。

でも僕が個人的に特筆すべきだと思うのは、この映画の“オカルトの位置づけ”の微妙さです。

「結局この映画においての“悪魔”って何だったんですか?」に対する答えが、ぎりっぎりオカルトにもサイコにも解釈できるっていう微妙さがあってスゴいのです。

オカルトか、サイコか。これはこの映画で言う“悪魔”を、「悪霊とかある種のモンスター」として捉えるか、「少女リーガンの脳の病気とかある種の精神病の症状」として捉えるかという分け方ですね。

この映画の前半では、病院のエライお医者さんたちが道化的な立場で「サイコ説」を主張するので、その反作用として観客は「オカルト説」の方を支持したい気持ちになっていきます。首がぐるぐる回ったり、体が浮き上がったりする描写が出てくれば、「こりゃあもう、オカルト説で決まりだろう」って話になってきます。

こーゆーヤツが“いて”、少女リーガンに“乗り移り”、
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こんなことしたり、
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こんなんなったり、
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こんなことしでかしたりするので、
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エライ神父さんが「喝!!」ってやっつけました。
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そういうお話でも充分コワいですし、面白いですよ。

でもですね、ひとつだけどうしても引っかかることがあるんです。『エクソシスト』がオカルト話なら、どうしてこんな場面を入れたのか?って。

それはカラス神父が水道水を「聖水」だって振りかけた時に少女リーガンが苦しんだって場面です。

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これオカルト説100%の立場で観るならノイズにしかならない場面ですよ。「この悪魔はたまたま聖水だけじゃなく、水全般に弱い悪魔なんだ」って説明はありませんからね。

だからこれは作り手が意図的に残しておいた「深読みを誘う手がかり」のような気がして、気になっちゃうわけです。

なぜなら僕はこの『エクソシスト』に限らず、オカルト話全般に対して“サイコ説支持者”だからです。オカルト話に対するスタンスとしては3種類あると思っていて、
①幽霊や悪魔や妖怪は実存する。怪奇現象はそいつらの仕業だ。
②幽霊や悪魔や妖怪は実在しない。怪奇現象はオカルトマニアのでまかせだ。
③幽霊や悪魔や妖怪は実在しない。しかし怪奇現象があったことは事実であり、その現象の仕組みは心理学や精神病理学や物理学や、もしくは何らかの経済学で説明できるかもしれない。
のうちの③のスタンスでオカルト話を楽しんでいます。

では③のスタンスで本作『エクソシスト』を観るとどういう深読みができるのか。

僕はこれ、「少女リーガンが映画監督に性的暴行を受け、抵抗した際に死なせてしまい、その恐怖と良心の呵責から分裂症状態になってしまった」話だと思いました。

うまくまとめられないので、そう思った材料を列挙してみます。

・女優をしている母親クリスと父親は、現在別居状態で夫婦仲も上手くいってない複雑な家庭。
・映画監督のバークとクリスは男女関係かどうかは不明だが、少なくともリーガンはそう思っていた。
・自分の留守中や家政婦の留守中に、バークとリーガンを家に残しておくくらいの関係は実際にあった。

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・リーガンに“取り憑いた悪魔”はやたらと下ネタばかり。「性的に汚れた自分を極端な別人格として分離」したものか?

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・リーガンの部屋の窓から落ちると、そのまま家の前の階段を転げ落ち死に至る。これは最後にカラス神父が実証することになる。バークも同じルートで死に至った?
・バークが死んだのはリーガンと家で2人きりの時だった。悪魔がやったにせよ、リーガンがやったにせよ、お手伝いさんは殺されていない。なぜバークだけが死んだのか?

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・いよいよ神父が介入してきた。ということはもしバークの死は事故でなかったとしても、「悪魔憑き」によるものとなる。
・カラス神父はクリスやリーガンに関わる前から、仕事への疑問や、親への罪悪感という“悪魔”に取り憑かれていた。酒を飲む描写が二度ある。精神状態はかなり不安定だったんじゃないか?

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・リーガンが本当に悪魔に憑かれているのかどうか。判断の基準のひとつに「知らないはずの言語を話すかどうか」があり、異言語だと思って録音した言葉は単なる逆さ言葉だった。またカラス神父の母親の旧姓を結局答えないままだった。前述の聖水のくだりも含めて「悪魔として不完全な要素」の描写が多すぎないか?

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・メリン神父が悪魔祓い経験者として派遣されてきた時、カラス神父からの状況報告をまるで聞こうとしなかった。前に戦った悪魔と同一だという決めつけがあった。もしリーガンが“なんちゃって悪魔憑き”だったとしても気づかなかったんじゃないか?メリン神父の悪魔祓いがなかなか功を奏しなかったのは、「前とは状況が違う(=悪魔じゃない)」からじゃないのか?
・メリン神父がどうしてどのように死んだのかは描かれていない。

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・メリン神父の死後、カラス神父の行動を第三者的に見ると「いきなりリーガンに殴りかかり、数発殴った後、窓から飛び降りて死んだ。」となる。
・映画の場面としては、カラス神父が悪魔の形相となるのは「俺に乗り移れ!」というセリフに対応した描き方がされてはいるが、もともとカラス神父の中にいた悪魔が表出しただけかもしれない。

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そんなカンジでしょうか。

悪い心は誰しも持っていて、それを比喩的に悪魔と呼ぶならば、それに支配されて暴走することは現実にあるでしょうし、それに対するプラシーボ効果を期待して悪魔祓いが機能することはあるんでしょう。また、ヒステリーとか自傷癖とか子どもの非行でさえも、親や他人の常識を超える姿を見せつけられたとき、それは「悪魔に取り憑かれた」としか認識できないのかもしれません。

もちろん映画の解釈は観た人それぞれのものなので、あくまで一つの捉え方なんですけども。「キャー、悪魔こわーい!」とか「そんなんインチキな作り話」で片付けちゃうよりも、あれこれ理屈をこねくり回して辻褄を合わせていくことも、ある種の思考ゲームとして楽しいですよねってお話です。

ベースとなった実事件は正真正銘のオカルトだったようですけどね。

ホラー映画の古典的傑作として名高い「エクソシスト」。この映画は,実際に起きた事件をモデルにしていたといわれている。

1949年3月9日から数ヶ月にわたって,事件に関わったレイモンド・J.・ビショップ神父の日記がワシントン・ポスト紙に掲載され、これを学生時代に読んだ「エクソシスト」の小説の原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティが後に小説を書いたことで有名になったのである。
果たして、実際に起きた「メリーランド悪魔憑き事件」とはどんな事件だったのか?
[From 伝説のホラー映画「エクソシスト」にはモデルになった実際の事件があった?~「メリーランド悪魔憑き事件」とは?:謎カレンダー]

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